直観てすごい(霊感はないんだけどさ)
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「初夏 箕面川」100号 日本画
大阪府箕面市にある箕面川の渓谷風景を描いた。初夏のこの場所は水遊び場となっているようで、一日中観察・写生をしていると、人間に限らずスズメやアオサギ、チョウ、トンボなどがそれぞれの都合で時間帯を選び群れで集まって来て休憩をとる様子が見られた。水の変化、音、光などを見ることで五感力を鍛え直すことを教えてくれた場所です。
この図は、2007年の夏のはじめから描いていた卒業制作です。
発表した時期だけでいえば卒業式ですから2008年春になります。
じつは風景画を描くときは個人的に下調べはしない。
ふらりと気になって入った場所とか、ここはなにかを感じると思った場所をじっくり観察してみるところ
からはじめます。写生してみて、空気も綺麗だったから本画にしておきたいと思えたので
卒業制作に決定した経緯。
写生してるときも思っていたのですが、どうもここの岩は人間の手が入っているようで、
移動させて積み上げてあったみたいだったんだけど、ここで足をとめた観光客は「すごーい」とか「わー」と言っていて、自然現象だと思いこんでいる様子だった。私から見るとなんか妙な場所なの。まわりに生えてる木は植樹してあるのね。自然林ではなくて。それにベンチがあって太陽光の入る加減まで考えてあったみたいだった。
この絵の色を塗っているとき、頭の中で何度も「中国」をイメージする。岩を動かして水の流れとか方角を気にする考え方といえば、風水とか陰陽五行だという浅い知識があるから。この場所になにか中国っぽい何か、それと神道の気配もちょっとあるんじゃないか?をすごく感じていた。この水場の近くにお寺があるらしく、目に見えるだけでは仏教の気配は確実にあった。
あと、ここを見ていて、中国系の宗教以外に「離別(孤立?)」「異端審問、それか宗教対立」「裏切り」「離散した家族」「子供を亡くしたか、あずけてしまって自分の子供と一生会えなかった女の人」「尋常ではない水への信仰心」「最期の祈り」「夏の過酷な肉体労働」というイメージがわく。
箕面といえば国定公園でもみじとサルの名所としか思っていなかったのですが、じつはここは山岳信仰のさかんなスポットだったらしく、修験道のすごい偉い方が最期をむかえた聖地だったらしい。お名前は役行者(えんのぎょうじゃ)という人。
どういう人かネットで調べてみたかぎりでは、修験道の開祖で、奈良ー飛鳥時代の呪術者。呪術者。むかしはそんな仕事があったんかいな。呪術っていうイメージじゃなくて、肉体労働を感じてたんだけど、
ネットで見つけた資料を以下にコピペ。
・『続日本紀』は、文武天皇3年(699年)5月24日に、役行者が伊豆島に流されたことを伝える。同書によれば、はじめ葛城山に住み、呪術によって有名になった。弟子の韓国連広足が、役行者が人々を言葉で惑わしていると讒言したため、役行者は遠流になった。人々は、役行者が鬼神を使役して水を汲み薪を採らせていると噂した。命令に従わないときには呪で鬼神を縛ったという。
最初に感じた「離別(孤立?)」とか異端審問とか宗教対立は、この流罪のことだと思う。
その鬼の肉体労働も当たってる(?)のが判明。
やがて陰陽道(おんみょうどう)神仙術と密教を日本固有の山岳宗教に取り入れて、独自の修験道を確立した。そして吉野金峰山(きんぶせん)や大峰山(おおみねさん)、その他多くの山を開いたが、保守的な神道側から誣告(ぶこく)されて、伊豆大島に流された。この経緯が葛城山神の使役や呪縛(じゅばく)として伝えられたものである。彼が積極的に大陸の新思想や新呪術を摂取したことは、新羅(しらぎ)や唐に往来したとする伝承にうかがうことができ、その終焉(しゅうえん)も唐もしくは虚空(こくう)に飛び去ったとされている。
つまり他にも資料はあったけど、他の神道家の人から優れた呪術を妬まれて、流罪になったみたいな方だったのね。「呪術で悪さをしているようだ」といった感じの悪い噂をたてられてしまって。
中国と陰陽五行も直観の通りです。最初にこの場所に立ってわいた強いイメージ通り。
この箕面で亡くなってるの。最後の祈りというイメージもぴったり当たってる。
・この役という名字の昔の一族は、三輪氏といってスサノオノミコトの末裔とされている伝説がある。スサノオってどういう神様かというと、イザナミとイザナギの子供で、母親(イザナミ)と会えないので大騒ぎ大暴れしたせいで追放されるあらぶる神様。
子供を失った女の人を感じたのはこのせいかも。
なんかしかも乱暴な男の都合のせいで手放してしまったのを感じたのだけど。。。
これはどういうイメージだったかちょっと不明。イザナミとイザナギとその子供の神たちが離散した家族なのは当たってるけど。
・明治維新の神仏分離によって、日本神話のスサノオを仏教信仰に組み込んだ牛頭天王は徹底的に弾圧された。天台宗の感神院祇園社は廃寺に追い込まれ、当時の国家神道の八坂神社に強制的に改組された[2]。全国の牛頭天王を祀る祇園社、天王社は、スサノオを祭神とする神社として強制的に再編された。
これもたぶん、宗教対立か異端審問かなにかに見えた背景だと思う。
・7世紀後半の山岳修行者。本名は役小角(えんのおづぬ)。役優婆塞(えんのうばそく)ともいう。日本の山岳宗教である修験道(しゅげんどう)の開祖として崇拝され、江戸末期には神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)の諡号(しごう)を勅賜された。多くの奇跡が伝えられるので、実在を疑う人もあるが、『続日本紀(しょくにほんぎ)』文武(もんむ)天皇3年(699)5月24日条に、伊豆島に流罪された記事があり、実在したことは確かである。多くの伝記を総合すれば、大和(やまと)国(奈良県)葛上(かつじょう)郡茅原(ちはら)郷に生まれ、葛城山(かつらぎさん)(金剛山)に入り、山岳修行しながら葛城鴨(かも)神社に奉仕した。
「子供を失った女性」
気になったので詳しく調べてみると、役行者が捕まって流罪になった原因に役行者の母親(白専女)が、
人質にとられてしまっていたという伝説を発見。
もうひとつには、役行者の使っていた鬼神に、前鬼と後鬼という2匹の鬼がいて、
この鬼は役行者に会って仕事を与えられる前は人の子をさらって食べていたという伝説がある。
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「初夏 箕面川」100号 日本画
大阪府箕面市にある箕面川の渓谷風景を描いた。初夏のこの場所は水遊び場となっているようで、一日中観察・写生をしていると、人間に限らずスズメやアオサギ、チョウ、トンボなどがそれぞれの都合で時間帯を選び群れで集まって来て休憩をとる様子が見られた。水の変化、音、光などを見ることで五感力を鍛え直すことを教えてくれた場所です。
この図は、2007年の夏のはじめから描いていた卒業制作です。
発表した時期だけでいえば卒業式ですから2008年春になります。
じつは風景画を描くときは個人的に下調べはしない。
ふらりと気になって入った場所とか、ここはなにかを感じると思った場所をじっくり観察してみるところ
からはじめます。写生してみて、空気も綺麗だったから本画にしておきたいと思えたので
卒業制作に決定した経緯。
写生してるときも思っていたのですが、どうもここの岩は人間の手が入っているようで、
移動させて積み上げてあったみたいだったんだけど、ここで足をとめた観光客は「すごーい」とか「わー」と言っていて、自然現象だと思いこんでいる様子だった。私から見るとなんか妙な場所なの。まわりに生えてる木は植樹してあるのね。自然林ではなくて。それにベンチがあって太陽光の入る加減まで考えてあったみたいだった。
この絵の色を塗っているとき、頭の中で何度も「中国」をイメージする。岩を動かして水の流れとか方角を気にする考え方といえば、風水とか陰陽五行だという浅い知識があるから。この場所になにか中国っぽい何か、それと神道の気配もちょっとあるんじゃないか?をすごく感じていた。この水場の近くにお寺があるらしく、目に見えるだけでは仏教の気配は確実にあった。
あと、ここを見ていて、中国系の宗教以外に「離別(孤立?)」「異端審問、それか宗教対立」「裏切り」「離散した家族」「子供を亡くしたか、あずけてしまって自分の子供と一生会えなかった女の人」「尋常ではない水への信仰心」「最期の祈り」「夏の過酷な肉体労働」というイメージがわく。
箕面といえば国定公園でもみじとサルの名所としか思っていなかったのですが、じつはここは山岳信仰のさかんなスポットだったらしく、修験道のすごい偉い方が最期をむかえた聖地だったらしい。お名前は役行者(えんのぎょうじゃ)という人。
どういう人かネットで調べてみたかぎりでは、修験道の開祖で、奈良ー飛鳥時代の呪術者。呪術者。むかしはそんな仕事があったんかいな。呪術っていうイメージじゃなくて、肉体労働を感じてたんだけど、
ネットで見つけた資料を以下にコピペ。
・『続日本紀』は、文武天皇3年(699年)5月24日に、役行者が伊豆島に流されたことを伝える。同書によれば、はじめ葛城山に住み、呪術によって有名になった。弟子の韓国連広足が、役行者が人々を言葉で惑わしていると讒言したため、役行者は遠流になった。人々は、役行者が鬼神を使役して水を汲み薪を採らせていると噂した。命令に従わないときには呪で鬼神を縛ったという。
最初に感じた「離別(孤立?)」とか異端審問とか宗教対立は、この流罪のことだと思う。
その鬼の肉体労働も当たってる(?)のが判明。
やがて陰陽道(おんみょうどう)神仙術と密教を日本固有の山岳宗教に取り入れて、独自の修験道を確立した。そして吉野金峰山(きんぶせん)や大峰山(おおみねさん)、その他多くの山を開いたが、保守的な神道側から誣告(ぶこく)されて、伊豆大島に流された。この経緯が葛城山神の使役や呪縛(じゅばく)として伝えられたものである。彼が積極的に大陸の新思想や新呪術を摂取したことは、新羅(しらぎ)や唐に往来したとする伝承にうかがうことができ、その終焉(しゅうえん)も唐もしくは虚空(こくう)に飛び去ったとされている。
つまり他にも資料はあったけど、他の神道家の人から優れた呪術を妬まれて、流罪になったみたいな方だったのね。「呪術で悪さをしているようだ」といった感じの悪い噂をたてられてしまって。
中国と陰陽五行も直観の通りです。最初にこの場所に立ってわいた強いイメージ通り。
この箕面で亡くなってるの。最後の祈りというイメージもぴったり当たってる。
・この役という名字の昔の一族は、三輪氏といってスサノオノミコトの末裔とされている伝説がある。スサノオってどういう神様かというと、イザナミとイザナギの子供で、母親(イザナミ)と会えないので大騒ぎ大暴れしたせいで追放されるあらぶる神様。
子供を失った女の人を感じたのはこのせいかも。
なんかしかも乱暴な男の都合のせいで手放してしまったのを感じたのだけど。。。
これはどういうイメージだったかちょっと不明。イザナミとイザナギとその子供の神たちが離散した家族なのは当たってるけど。
・明治維新の神仏分離によって、日本神話のスサノオを仏教信仰に組み込んだ牛頭天王は徹底的に弾圧された。天台宗の感神院祇園社は廃寺に追い込まれ、当時の国家神道の八坂神社に強制的に改組された[2]。全国の牛頭天王を祀る祇園社、天王社は、スサノオを祭神とする神社として強制的に再編された。
これもたぶん、宗教対立か異端審問かなにかに見えた背景だと思う。
・7世紀後半の山岳修行者。本名は役小角(えんのおづぬ)。役優婆塞(えんのうばそく)ともいう。日本の山岳宗教である修験道(しゅげんどう)の開祖として崇拝され、江戸末期には神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)の諡号(しごう)を勅賜された。多くの奇跡が伝えられるので、実在を疑う人もあるが、『続日本紀(しょくにほんぎ)』文武(もんむ)天皇3年(699)5月24日条に、伊豆島に流罪された記事があり、実在したことは確かである。多くの伝記を総合すれば、大和(やまと)国(奈良県)葛上(かつじょう)郡茅原(ちはら)郷に生まれ、葛城山(かつらぎさん)(金剛山)に入り、山岳修行しながら葛城鴨(かも)神社に奉仕した。
「子供を失った女性」
気になったので詳しく調べてみると、役行者が捕まって流罪になった原因に役行者の母親(白専女)が、
人質にとられてしまっていたという伝説を発見。
もうひとつには、役行者の使っていた鬼神に、前鬼と後鬼という2匹の鬼がいて、
この鬼は役行者に会って仕事を与えられる前は人の子をさらって食べていたという伝説がある。









